これまでのお話はこちらから→ゴルフ川中島(夫婦の合戦 前編)
起死回生
「あと2ホール」
どちらからともなく呟いた
午前のスタートホールから緊張し、集中を途切れさせずゴルフをこれだけ真剣にやってきたことはこれまでない
正直肉体的にも精神的にもかなりの疲労が溜まっている
勝負は残り2ホールで決まる
このホールでどちらかがリードすればもう逆転する気力・体力は残ってないだろう
だから何としても1打目はミスなく打ちたい
狙いを定め深呼吸をして打った一打はフェアウェイを捉え、ボールは良い位置に止まった
信子の1打目もナイスショットでなんとボールは1ヤードも離れていないほど近い位置に止まった
「夫婦仲がいいね! 」と双方の同伴者から声が掛かったがそれに反応する余裕は二人にはなかった
グリーンまでの残り距離はまたしても60ヤード
手前にボールがあった私から2打目を打つことにした
1度構えに入ったがまた身体が固まった
一旦構えを解いて深呼吸をすると先程信子が言った「構えてから長かったよ」という言葉を思い出した
そうだ、構えが長いと悪いイメージが出て身体が動かなくなる
だったら悪いイメージが出る前に打ってしまおう
ボールの手前で構えてからすぐに打つ素振りを繰り返し、そのままの勢いでボールを打った
すると手に良い感触を残したボールは自分の意志とは関係なくカップに向かって飛んでいってくれた
こんな完璧なアプローチを打ったのはいつ以来だろうと思いながらボールがカップ近く1メートルに落ちるのを見守った
死中に活
謙一のアプローチを見て心臓が止まるかと思った
またミスをするだろうと思ったのに構えてすぐに打ったボールは危うくカップに入るところだった
きっと次のパットを入れて謙一はバーディー(基準となる打数より1打少ない打数)で上がるだろう
ということは私がこのアプローチをグリーンに乗せられないとかなりの確率でボギー(基準となる打数より1打多い打数)になり一気に2打差が付いてしまう
しかしこの60ヤードは一番飛ばないクラブでちょうど打てる得意な距離だ
構えに入ってスムーズにスイングが出来た
だがほんの少しだけボールより先に地面に当たった感触が残った
「短いかも? 」と思った通りグリーンの少し手前にボールは落ち、そのまま止まった
「惜しい! 」という声が聞こえるが私にとっては腸が煮えくり返るくらいの取り返しがつかないミスだ
うつむいたままボールまで小走りで向かった
ボールを確認するとグリーンから1メートルほど外れた平らなところに止まり、カップまでは8メートルの距離だった
これだったらパターで打てると安心した
一回で入ることは出来ないかもしれないがしっかり寄せればボギーで上がれる
無理なパッティングでミスしてダブルボギー(基準となる打数より2打多い打数)になれば、今日の勝負は終わりだ
いつもの強気を抑えて距離感だけに集中してパターの素振りを繰り返し、構えに入った
ゆっくり素振りと同じスピードでパターを振ることが出来た
ボールの芯に当たった感触があった
「入れ! 」と謙一と同伴者の声が聞こえる
顔を上げてボールを見るとスルスルとカップに向かってまるでモーターが付いているように転がっている
そしてまっすぐ引いた糸のような残像を残してカップに飛び込んだ
いつもより大きい「ナイスバーディー! 」の声が響いた
やった、無心で打ったパッティングが奇跡を起こした
人生で初めてのバーディーがこの場面で取れるとは思いもしなかった
「だからゴルフは楽しい! 」と心から思った
続いて謙一がバーディーパットを打つ番だ
1メートルは練習では入るが緊張すると途端に難しくなる
しかも勝負が掛かった一打は緊張しないほうがおかしい
いつも以上に慎重に打ち出したボールは勢いがなくカップの手前で止まりそうだ
「弱い!? 」と内心思ったが最後の一転がりでボールはカップに吸い込まれた
こちらも「ナイスバーディー! 」の声をみんなが一斉に上げた
「夫婦揃ってバーディーとかすごくない? 」と同伴者の二人も驚いた表情をしていた
なぜ、そうなる?!
最終18番ホールに来た、決着ホールだ
このホールですべてが決まる、そう思うと1打目を打つのに緊張感がみなぎる
ボールをセットして素振りを1回、いつものルーティン
構えに入って打つ方向を確認すると右に行ってはダメ、左もダメと行ってはいけない方向ばかりが目に入る
いつもより少し時間が掛かったような気がしたが思いっきりクラブを振り上げ、振り下ろした
カシュッという音がしてボールは弱々しく転がって目の前の池に吸い込まれていった
ボールの上部にクラブが当たって全然上がらないミスをこんな場面で犯してしまった
しかも目の前の池はたった50ヤードの幅しかなく悪い当たりでも楽々超えていく
だから池はただの風景の一部としか思っていなかったのに
こんな酷いミスは全然予想にもしてなかった
眼の前が真っ暗になった
同伴者もなんと声を掛けていいかわからないようで沈默のままだ
なんとか気を持ち直して女性用ティーイングエリアに向かった
信子はすでに一打目の構えに入っている、右つま先も開いてない
ゆったりとしたスイングで捉えたボールはフェアウェイの真ん中にきれいな放物線を描いて飛んでいった
心のなかで「負け」を覚悟した
ルールで次は2打のペナルティーを加えて前方にある特設エリアから4打目を打つことになる
その4打目が上手くグリーンに乗って普通は2回のパッティングでダブルボギー、まぐれで1回で入ってもボギーになる
すべてが上手く行ってもボギーになってしまうが信子は悪くてボギー、良ければパーで上る可能性が高い
後悔先に立たず
謙一が4打目を打つ特設エリアより先に私の1打目は飛んでいた
渾身の一撃でこれまでのゴルフ人生で一番飛んだと内心胸が踊っている
鼻歌が出そうなのを我慢して謙一の4打目を見守った
謙一の4打目はまるで諦めたかのように力なくグリーン手前に落ちたが良い傾斜に当たったのかそのままスルスルとグリーンまで届いた
「ナイスオン! 」の声に対しても謙一はあまり反応せずグリーンに向かっている
私のボールはまたしても得意な100ヤード
自分の足より少しボールの位置が高い「つま先上がり」と呼ばれる傾斜があるように感じるがこの程度ならグリーンに十分乗せられる自信がある
いつも通りクラブをゆっくり振り上げて力まず振り下ろすと想像通りの手応えがあった
ボールの行方を追うと最初の狙い通りグリーン方向に向かっている
が、半分を過ぎたあたりからボールが左に曲がり始めた
「ウソ、なんで? 」と声を上げても曲がりは止まらずボールは大きく曲がってグリーン横のバンカー(地面が深く掘られて全面砂が敷き詰められた場所)にドスンと落ちた
よりによっていちばん苦手なバンカーに落としてしまったショックは大きかった
「つま先上がり」はちゃんと当たると左に曲がるとコーチが言っていたのを今思い出した
これまでちゃんと当たったことがないからその現象に出会ったことがなかっただけなのだ
実際バンカーに着いて中に入ってみると思っていたより穴が深く女性の力では脱出できるか不安になった
しかし誰も助けてくれないのもゴルフ、ティーイングエリアの距離以外は男性・女性の特別扱いはない、自分でやるしかない
そう言い聞かせて構えて力任せに打った
しかし砂の重さに負けてやはりボールがバンカーを出なかった
次が4打目になる、これが出なかったら多分負けてしまうだろう
足元を踏み固めて今度はボールだけに当たるように振り切った
カツンという乾いた音を残してボールはバンカーの縁を越えてグリーンにフワリと落ちた
「やった! 」と思わず出たガッツポーズと同時にみんなから
「ナイスアウト! 」の声が届いた
雌雄を決す
結局二人はともに4打目でグリーンに乗った
やはり最後はパッティング勝負になった
カップの右に謙一のボール、左に信子のボール、距離は等距離の5メートル
同じ距離の場合どちらが打っても良いが先にグリーンに乗っていた謙一の準備ができていたので謙一から打つことになった
「何としてもこのパットを入れたい! 」思いがけず信子がバンカーでミスをして同じ打数でグリーンに乗った
しかもほぼ同じ距離が残っている
どちらか先に入れたほうが絶対的に有利になるはずだ
このパットを一回で入れればボギーで上がれる
そうすれば負けることは無い、勝つ確率のほうが高くなるだろう
だから絶対カップに届くように打とう
いつもより慎重にボールを目標に合わせ素振りを繰り返した
構えに入って素早くボールを打った
狙い通りのスピードで狙い通りの方向にボールが進む
このまま行けばきっとカップに入ると確信して見守っているとボールがカップに到達する直前ほんの少し右に曲がった
ボールはカップの縁をまるでサーカスの一輪車のようにクルンと回って外に出てしまった
ボールはそのまま90度方向転換をして50センチのところに止まった
「うわー、惜しい! 」という声に信子の声はなかった
「ビックリした! 入るかと思った」と信子は心のなかで呟いた
しかしこれでこのパットを入れれば勝てる
ちょうど反対側で見ていたのでボールの切れ方が分かった
さっき見たのと反対に打てば必ずカップに入る
人生でこんなにドキドキするのは結婚式以来かも
パターを持つ手がかすかに震えている
距離に合わせて素振りをするといつもの癖で強気の距離感になっている
この距離感で打ってしまうとカップを外れたときにかなりオーバーしてしまう
振り幅を小さくした素振りをして構えに入った
いざ打とうとパターを引いたとき、「これは強い! 」と身体が反応した
とっさに手が縮こまりパターがボールに当たったときいつもとは違う感触が残った
トロトロとまるでイモムシのようにボールは進まず、カップの50センチ手前で止まった
パターを持ったまま動けなかった
突風が吹いてボールをカップに近づけてくれないかと願った
山のようにボールは動かない
まるでお葬式のような沈黙が流れた
50センチのパターを外すかもしれないという恐怖と戦いながらお互いカップに鎮めることが出来た
最終ホールはともにダブルボギー
最終スコアも全く同じ90打、いつもとあまり変わらないスコアに落ち着いた
結局雌雄を決しようと真剣勝負した結果が平凡なスコアでの引き分け
「まるで川中島の合戦だな
5回戦って5回とも引き分けなんて」
見届人として参加した二人の同級生はまるで「歴史ドラマ」を観たような感想を言った
「でもこんな緊張感があるゴルフは久しぶりだった
おかげで自己ベストが更新できたよ」
「私も同じく自己ベストが更新できた
ふたりとも79打よ
ありがとう、また一緒にラウンドしようね」
いつの間にか二人は私達より11打も良いスコアでラウンドしていたとは
私達の川中島は、どんぐりの背比べだった
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