喫茶店の客”その他”
「マヤさん、入られます」
アシスタントディレクターの声が現場に響くと扉が開いて光が差し込んだ
真ん中を長身で細身な女性がお辞儀をしながら歩いてくる
元気よく「おはようございます」と言いながら頭を下げているがその全身から自然光ではない光があふれ半端ない存在感がある
世の中にはスターという人がいるんだなとはっきり認識した
マヤさんはモデル出身にしては演技力があり美人で性格が良いと評判の女優
一方で平均的で芝居臭いと評されることもある
ここは福岡市西区のレトロな雰囲気の喫茶店「ユニオン・スクエア」
秋から始まるTVドラマの地方ロケが撮影されている
ノイズがじゃまになるという理由で7月なのにエアコンを入れてない
スタッフや演者は汗だくだが、俺は比較的涼しい顔で耐えられる
何しろ面や胴など防具一式を着けて一年中剣道の稽古をしているだから、暑いのには慣れている
しかも今回はTVドラマの主演女優と一緒に映るかも知れない場面があるということで興味と興奮が抑えられない
主演女優と一緒に映ると言っても舞台となる喫茶店の”その他”の客の一人
そう、いわゆるエキストラ
これまで映画やTVドラマに何本か参加したが、ほとんどは全カットされて写ってなかったり頭が写っているだけの情景の一部
「エキストラの顔が映るなんてほとんど無いですよ」
と先輩エキストラが教えてくれた
定年退職した時、以前からやりたかったエキストラの仕事を紹介してくれる「福岡フィルムコミッション」に登録した
何しろ自他ともに認める「平凡な顔」の俺は、何も主張しないエキストラに絶対向いている確信がある
更に頭が薄く坊主頭の俺は、年寄りのエキストラの役で需要があるはず
なのでいつか一瞬でも良いので「顔が映る」という野望がある、できれば大好きな時代劇で
この喫茶店はディレクターが糸島にロケハンに行った帰りにたまたま寄って雰囲気を気に入り、店主に頼み込んで定休日に1日だけ撮影できるらしい
時間に制限があるのでスタッフは少しピリピリしているがディレクターは主演女優のマヤさんとにこやかに話して和やかな雰囲気を醸し出している
これまで参加した作品でもエキストラを始める前にイメージしていたような監督が怒鳴りまくって殺伐とした雰囲気で撮影ということはなかった
どちらかというとビジネスライクにプラン通りに撮影が進んでいくという感じがした
女優の正面だ〜れ?
エキストラに台本が配られることはない
だから作品がどのようなものかは撮影直前にアシスタントディレクターからの説明で知ることになる
今回の作品は仮タイトルが「四十九日」で復讐劇らしい
悪い男たちに騙された若い女性が犠牲になった家族の無念を晴らす
初七日、二七日、三七日と悪い男たちを一人ずつ葬っていく構成
人は亡くなると七日毎に審判を受けるという仏教の教えにヒントを得ているらしい
そしてその復讐のスタートが福岡に設定されている
ディレクターと喫茶店に入ってくる最初のシーンの打ち合わせをしたマヤさんが玄関扉の前に立った
カメラや照明の調整をしている間にマヤさんがエキストラの私達に向かって
「よろしくお願いします」
と声を掛けた
さすが人気女優はエキストラにも配慮してくれるんだなと感心しながら
「よろしくお願いします」
と返すと
一瞬一番奥に座っていた俺のところで彼女の目が止まったような気がした
目が合ったかなといい年してドキドキしていると
「撮影入りま〜す」
とアシスタントディレクターの声がした
いくつかのシーンを撮り終えて、この後はマヤさんが亡くなった家族に復讐を誓うセリフの場面の撮影だけになった
「エキストラの皆さんの撮影はここまでになります
ありがとうございました」
とアシスタントディレクターが言うと所々から
「ありがとうございました」の声が上がった
今日初めて会ったエキストラの人と
「緊張したね、楽しかったね」
と話しながら玄関に向かうと
マヤさんがわざわざ俺達の方に来て「ありがとうございました」と声を掛けてくれた
一番後ろの俺が彼女の前を通る時、彼女は明らかに俺の顔を見て動揺しているように見えた
鼻毛でも出ているのかと心配になり、鼻を触ったが分からなかった
一刻も早く外に出て鏡で確認しようと急いでいると
後ろの方でマヤさんがディレクターに頭を下げて何かを頼んでいるのが見えた
表に出て止まった車のドアミラーで鼻毛を確認している俺に慌てた様子のアシスタントディレクターが近寄ってきて言った
「すいません、もう少しだけ撮影に付き合ってもらえませんか?
お時間大丈夫ですか? 」
鼻毛が出てないのを確認して安心した俺は
「ぜんぜん大丈夫ですよ
むしろ暇なくらいですから」
と笑って答えた
喫茶店に戻りながらアシスタントディレクターが説明してくれた
「このドラマのポイントに主人公のおじいさんが悪い男たちに騙された主人公を守るため、借金を背負わされて自殺してしまうところがあります
主人公のマヤさんがおじいさんの日記を読んで、騙されていたことを知り復讐を誓うのですが後悔の念と怒りの感情が入り混じった場面が最大の見せ場です」
「はあ〜」
説明を聞いてもピンとこないので生返事しか出なかった俺に構わず
アシスタントディレクターはこう言った
「マヤさんのおじいさんも亡くなっているらしいのですが、あなたがそっくりらしいんです
そこでマヤさんがあなたを目の前にして演技したいと提案したんです」
喫茶店に入るとすでに主人公がおじいさんの日記を読むシーンの撮影に入っていた
マヤさんはこちらに気づいてコクリと頭を下げた
その後何シーンか続く撮影を眺めながらだんだん緊張が高まってきた
俺は何をしたら良いんだ?
演技なんてできないぞ!
さっきまでなんともなかった暑さを感じるようになった
汗が止まらない
これは冷や汗だなと確信した時
ディレクターが近寄ってきた
「何もしなくていいです」
「はい」
「カメラの横に立って微動だにしないでください」
「わかりました、正眼の構えですね」
ディレクターが苦笑いしながら離れていった
アシスタントディレクターにここに立ってくださいと言われ、カメラの横に立った
この場所では絶対にカメラに映らない
正面にはマヤさんがいる
マヤさんは目をつぶって集中を高めている
「撮影入ります」
の声でマヤさんが目を開いた
その目は悲しみと怒りが混ざりあい、渦を巻いているように見えた
ジジイ泣く
「おじいちゃん、ごめんなさい」
マヤさんの声は低く漂うような暗さに満ちていた
「おじいちゃんが私を守るためにお金をだまし取られていたなんて
お父さんお母さんが亡くなって一人で育ててくれたおじいちゃんの気持ちを利用して自殺まで追い込んで」
怒りに満ちた表情から俺は目が離せなかった、そしてマヤさんの目も俺を捉えたままだった
「本当にごめんなさい」
と一度伏せた顔を上げた時、マヤさんの大きな目からダラダラと涙がこぼれていた
そして同時に鼻水が口まで掛かっていた
全員が音にならない息を呑んだ
俺の正眼の構えは崩れた、頭の中には
「美人でスターのマヤさんが鼻水流して大丈夫か? 」が何度も繰り返された
「必ずおじいちゃんの仇は取るから」
と最後の台詞を言うと
「はい、カット」の声が控えめにした
良かったのか悪かったのか俺には分からなかったが、ディレクター達がマヤさんの周りに集まっていた
アシスタントディレクターが俺にティッシュを渡してくれた
俺が怪訝そうな顔をすると彼は鼻を指した
指で触ると鼻水が出ていたのに気がついた
彼女の演技に引き込まれ、いつの間にか涙と鼻水が出ていた
ティッシュでは足りず、ハンカチで何度も鼻を拭いた
予告
貴重な経験ができたと爽やかな気持ちに満たされながら、外に出て地下鉄に乗ろうと駅に向かいかけたら誰かに声を掛けられた
声がした方に顔を向けると
大きなワンボックスカーから男性が降りて近づいて来た
「マヤのマネージャーです
マヤがお話があるそうなんですが、ちょっとだけお時間よろしいですか? 」
「ぜんぜん大丈夫ですよ
むしろ暇なくらいですから」
とまた同じセリフが口から出た
何の話だろうと思いながらマネージャーに続いてワンボックスカーに乗り込むと
マヤさんが後部座席に座っていた
先程まで復讐を誓う迫真の演技をしていた女性とは別人の柔和な笑顔でこちらを見ていた
「さっきは急な無理を言ってすみませんでした
お陰で自分でも納得の演技ができました
ディレクターもドラマの予告シーンで使いたいと言ってくれました
本当にありがとうございます」
と丁寧にお辞儀した
「いえいえ、私は何もしてないけど
お役に立ててよかったです」
とお辞儀を返した
「声までおじいちゃんにそっくり!
初めてお見かけした時びっくりしちゃって、心臓が飛び出そうだった」
とマヤさんは笑った
「いや〜、なんだかわからんけどお恥ずかしい」
と緊張したときに出る左手のひらをもむ癖が出た
その手を見てマヤさんが尋ねた
「もしかしてその手のひらのたこは竹刀だこですか? 」
「はい、学生の頃からずっと剣道やってきたのでいまだにたこが取れません」
「何段を持ってらっしゃるんですか? 」
「四段です」
「おじいちゃんは五段でした、おじいちゃんの手にも大きくて硬い竹刀だこがありました」
「五段はすごい、私も四段に受かって昇段試験に挑戦したけど合格率3割以下ですから受かりませんでした」
自分の得意分野の剣道の話だったので調子に乗って話していると
マヤさんはうつむいたままになった
「私、おじいちゃんを殺したんです」
突然マヤさんの口からドラマの続きのような低く暗い言葉が出た
マネージャー、運転手、そして俺全員が凍りついたまま視線をマヤさんに向けた
ゆっくりとマヤさんが言葉を続けた
「あれは私が小学二年生だった頃、よくおじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行っていたんです
両親が共働きだったので、休みになるとおじいちゃんおばあちゃんの家に預けられました
ふたりとも優しくて思いっきり甘えてました」
マヤさんが大きく息を吸い込んだ
「あの時も天気が良くて近くの公園に一緒に遊びに行くことにしました
途中まで手を繋いで歩いていたけど、もう少しで公園に着くところで私が手を離して走り出したんです
公園前の道路で私は転んでしまって」
全員が息を止めて続きを待った
「普段は車の通行量が少ない道路だったんですけど、たまたま車が来て
ブレーキを鳴らしながら車が大きくなるのが見えました
その時おじいちゃんが私の上から覆いかぶさったんです
その後私の記憶はないんですけど、おばあちゃんに聞いたら
カーブミラーに車が来ているのが見えた瞬間、おじいちゃんが一足飛びで飛び込んだって
ド〜ンという鈍い音がして二人は10メートルくらい転がったって」
「私はかすり傷程度だったんですけど、おじいちゃんは意識不明の重体で
6ヶ月後に一度も意識が戻らないまま亡くなりました
だから...」
「ありがとう
立派な大人になってくれて嬉しいよ」
肺が小刻みに震えながら涙声が漏れた
マヤさんが大きく目を見開いて俺を見た
「おじいちゃんはきっとそう思っています
後悔などしていません
一瞬のためらいもなく身体が動いたんです
大好きなマヤさんを守るために」
マヤさんは俺の左手を握りながら嗚咽を繰り返した
1か月後、例のドラマの予告がTVで流れ始めた
マヤさんの涙と鼻水のシーンが使われていて役者として一皮むけたのではないかと前評判は高いようだ
マヤさんの正面には俺がいるんだぞと言いたいが、なんだか二人の秘密であってほしい気がして家族にも言ってない
一人悦に入っているとメッセージの着信音が鳴った
11月にエキストラのオファー、しかも念願の時代劇映画!
もしかしたら侍の役かもしれない、俺の出番だ!
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