放物線の先
白いゴルフボールがきれいな放物線を描いて飛んでいく
眼の前の谷を越えてグリーン近くに着弾したのが見えた
同伴者は一斉に「ナイスショット」の声を上げた
ボールを打ったのは俺ではない、4人一組の同伴者の一人だ
すらりとした引き締まった体で身長は俺より少し高く177〜8cmくらいだろうか
スタート前に話をしたら、同学年で甲子園にあと一歩の強豪校のエースピッチャーだったらしい
二番手は俺だ、ボールを飛ばすことには自信がある
というか飛ばすことしか自信がない
大学まで剣道をやっていて今の会社もそのつながりで入ることができた
高校・大学の剣道部で全国大会に出場し、主将も務めた
職業病
会社では3年前に役職定年で営業部長を退き、若手営業社員をサポートする役目になった
仕事も気楽で時間の余裕もでき、ゴルフの練習頻度も増えた
しかし予想外だったのが部長でなくなった途端、忙しいのに月2回は勘弁してくれと思っていたゴルフコンペの誘いがパッタリと無くなったことだ
要するにあれだけ誘ってもらっていたのはやはり仕事上の付き合いだったということだ
今回の取引先のゴルフコンペは本来なら今の営業部長が行くはずだったがどうしてもいけなくなり、暇で前部長である俺にお鉢が回ってきたというわけだ
今回の取引先はうちに商品を納めてくれる会社でいわゆる仕入先だ
大きい会社では仕入先と付き合うのは購買部だが、うちは営業部が商品を仕入れ得意先に販売するシステムになっている
だから今回の取引先もただの仕入先と言うよりお互い持ちつ持たれつの関係と言って良い
営業のゴルフは基本的にお客様に気持ちよくゴルフをしてもらい取引につなげるのが目的だ
だから接戦を演じながら最後はスコアで負けるのが営業マンに求められるスキルだ
しかし元体育会系としては毎回負けるのは悔しいし、中には負けたくない嫌なやつもいた
そこで編み出したのが「飛ばし」では負けないゴルフだ
ゴルフの1打目は思いっきり飛ばすことが出来る
自分で言うのも何だが学生時代剣道で千本素振りや連続打ち込みで鍛えた体幹や腕力は伊達ではない
竹刀という道具を使う点もクラブを使うゴルフと共通点があり、ゴルフを始めたときから芯に当たれば誰にも負けない飛距離を稼いでいた
50代後半の今でも平均260ヤード(約240メートル)は飛んでいるはずだ
同年代の一般男性の飛距離が220ヤード(約200メートル)だから、よほどミスをしない限りどんな相手にも負けることはなかった
だが今回の同伴者の一人、「エースくん」は正真正銘の飛ばし屋だ
スコアは別にして前半9ホールで1打目の飛距離で勝ったのは一度だけ、それも「エースくん」が明らかなミスショットを打ったときだった
ワールドランキング
ボールをティーに乗せて1打目を打とうと素振りをした時、耳につけた無線型イヤホンから音声が流れてきた
ゴルフ専用アプリ『ワールドランキング』のAIコンシェルジュの声だ
「AIによるアドバイスをご提供します」
せっかくダウンロードしたが、3ヶ月間ゴルフをプレイする機会がなく今回始めて使っているアプリだ
このアプリは優秀でスコアを記録することはもちろん各ショットごとの飛距離や次の狙い所も教えてくれる
「眼の前の谷を越えるのに240ヤード(約219メートル)が必要です
谷を越えなかった場合OB(アウトオブバウンズ)になり、1打のペナルティーが付いてしまいます」
素振りをするふりをしてマイクに話しかけた
「俺は260ヤード(約240メートル)飛ぶ、充分越えるはずだ」
「AIですので確率でお話します
確かに平均は260ヤード(約240メートル)ですが平均以上飛ぶ確率は55%です」
「55%だったら確率は高いだろう?」
「55%は高い確率ですが、平均以下の飛距離の確率も45%となります
ここまで17ホールの分析では今日は少し力みが見られ、練習場の平均飛距離より5ヤード落ちています」
確かに「エースくん」の飛距離を見て知らず知らず力んでいたかもしれない
「お客様の飛距離は現在の所ワールドランキング(世界順位)の上位10%に入っています
素晴らしい成績で国内で比べると上位7%まで上昇します
当アプリに登録している世界中のゴルファーがVR(仮想現実)を利用してあなたのプレイを見ることが出来ます」
このアプリに登録したことで贈られてきた特製サングラスのレンズに7マス✕7マスで49個に分割された画面が浮かび上がった
中央付近の赤枠に囲まれた画面が俺のアバターらしい
特別かっこいいスイングではないが打ったボールが綺麗に260ヤード(約240メートル)の表示があるところまで飛んでいった、これは前のホールの打球だ
「他のプレーヤーが俺のプレイを見ているのか?」
「はい、35名の方がご覧になっています」
もっと大ギャラリーかと思ったが49個のマスのうち35人が見ているということだろう
我に返り1打目を打つ構えに入った
「谷越えを狙うのですか?」
「当たり前だろう! だんだん調子が良くなってうまく打てるようになっている
心配するな」
いつものスイングで打ったボールはイメージ通りの弾道で谷の上を飛んでいる
「越えた」自信があった
良いショットの余韻に浸りながらボールを眺めているとザワザワと枝が揺れる音がした
ボールが谷の向こう側に着弾する直前、強烈な逆風が吹いた
「超えろ!」と同伴者も全員叫んだ
ドンと遠くでボールが地面に当たる音がした
「越えた〜」
全員がホッとしてハイタッチしてくれた
クラブをキャディさんに渡そうとした時、「アッ」と誰かが声を上げた
振り向くと谷の向こう側にあったボールが斜面の傾斜でゆっくりと動き始めている
「止まれ、止まれ」
ボールは無情にも谷底に吸い込まれた
キャディさんが「あそこは風の通り道になっているので」と申し訳無さそうに言った
「次は遠回りですがコースの真ん中を狙いましょう」とAIコンシェルジュの声が耳の奥で聞こえた
結局このホールは打ち直しの3打目をアドバイス通り真ん中に打って、4打目・5打目と上手くいき、パーより1打多いボギーで収めることができた
「これは優勝の可能性大ですよ」
「優勝スピーチ考えて置かないと」
と同伴者が口々に言ってくる
しかし心の中は「エースくん」に飛距離で一度も勝てなかったことが悔しくてスコアのことは正直どうでも良かった
「お疲れ様でした、本日のスコアは登録いただいた3年間のベストスコアです
おめでとうございます」とAIコンシェルジュが言った
「へえ、そうなのか? 飛距離の勝負に集中してスコアは全然気にしてなかった」
そう言われるとずっとAIコンシェルジュの言う通り打って、あまりミスをしなかった気がする
あの谷越えを除いては
「スコアのワールドランキングはかなり上昇して16,230,484位となりました」
「飛距離のランキングはどうなった?」
「飛距離のランキングは上位20%の位置になりました」
「なんで? そんなに落ちるわけ無いだろ!」
「最後のホールで谷越えに失敗してOB(アウトオブバウンズ)になりましたので、飛距離は0ヤード(0メートル)です
今日の平均飛距離を算出すると241ヤード(約220メートル)になります」
表彰式
「それでは優勝者に賞品の贈呈です」と司会者が楽しそうに声を張り上げる
今回のコンペの優勝賞品はずっと俺が欲しかったB社のゴルフセットだった
特にB社のドライバーは飛ぶと評判で1本10万円を超える名器だ
優勝は「エースくん」俺は準優勝だった
優勝スピーチ後に「エースくん」が俺に話しかけてきた
「いやー、優勝できるとは思いませんでした
最後のホールの谷越えが二人とも成功していたら、順位が逆だったと思うんですけど」
俺はノンアルコールビールを飲み込みながら微笑んだ
「今日は楽しかったです、今後とも宜しく」と言ってゴルフ場の玄関で別れ、自分の車に乗り込んだ
最初の信号待ちの間に明日提出する「出張報告書」の内容を考えた
「今回の取引先の評価は、◎から△に変更しよう」
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