アプローチが怖い女

ゴルフデビュー ショートショート

ドタキャンされる女

「エエーッ、そうなの?

大丈夫、気にしないで」

早朝のゴルフ場の練習グリーンで私は途方に暮れた

今日は高校からの付き合いの女子三人で久し振りのゴルフをしようと1ヶ月前から予定していた日だった

昨日の夜一人が子どもの発熱で行けなくなったと連絡があった

そして私がゴルフ場に到着して練習グリーンでパッティング練習をしているところにもう一人から電話が届いた

ペットの猫が朝起きたら死んでいたとまるで肉親が亡くなったかのように涙で声をつまらせながら話す

大丈夫とは言ったものの基本は3〜4人一組でプレイするゴルフは一人ではできない

かと言って1ヶ月前から楽しみにして練習してきたのでプレイせずに帰ってしまうのも勿体ない気がする

というか絶対プレイしたい

こういう時はゴルフ場の組み合わせを管理するスタート室に行って

「一緒に回るメンバーが来れなくなって一人になったんですけど、どこか入れませんか?」

と聞いてみるしかない

もちろん見ず知らずの人と一緒に回るのは勇気が要るが、迷惑をかけない程度のスコアで回る自信はあるし、マナーもしっかり学んで身に付けたつもり

「二人の組があるので聞いてみますね」

とスタッフが確認して、OKがでた

教えてもらった番号のカートに行くとすでに私のゴルフバッグが積んであり、カートの脇に中年の男性と小学3〜4年生の女の子が立っていた

「おはようございます、突然申し訳ありません

よろしくお願いします」

というと

中年の男性が

「おはようございます

いえいえ、親子二人だと割増料金が取られるんでちょうど良かったです

よろしくお願いします」

と言ってくれた

女の子も元気よく

「おはようございます

よろしくお願いします」

と挨拶してくれたので、良かったと安心した

根性なし子

ゴルフはプレイヤーの腕前が違っても競えるようにいくつかの工夫がされている

その一つが距離のハンデがある

上手い人はそれぞれのホールが適度に難しくなるように最初に打つ場所(ティーイングエリア)が遠くなり、普通の人はその前のティーイングエリアから打つことになる

男性と女性とは飛距離の差があるので、普通の男性が打つ場所からだいぶ前にティーイングエリアが設置されていることが多い

女の子のお父さんは普通のティーイングエリア(色で区別されていて、白が多いので「白ティー」と呼ばれる)から打った

スイングが綺麗で練習をしていると感じた

次は私の番、

女性のティーイングエリア(「赤ティー」と呼ばれる)は、30ヤード(ゴルフは距離をヤードで表示する、メートルに換算すると30ヤード✕0.9=27メートル位)前にある

何回プレイしても最初のショット(ボールを打つこと)は緊張する

特に全く知らない人と回るのは初めてなので心臓がドキドキ大きい音を立てているのがわかるくらい緊張している

「よろしくお願いします」と声に出して緊張を解し、一打目(ティーショット)を打った

「ナイスショット!」と親子が言ってくれた

自分でもこの緊張感の中で満足のショットが打てた

打ったボールはお父さんのボールの少し先に止まった

「すごい、お父さんより飛んだよ」

と女の子が無邪気に言った

「よろしくお願いします」

と女の子が言って一打目(ティーショット)の構えに入った

全身を使ったスイングで放たれたボールはお父さんのボールの少し手前で止まった

「ナイスショット!」と私は言ったがお父さんは無言だった

「すごい、うまいね〜」と言ったら、女の子は嬉しそうに

「ありがとうございます、お姉さんも上手ですね」と笑った

「お姉さん?嬉しい

私はひなっていうの

なんて呼んだら良い?」

女の子はびっくりした顔で

「私もひな、同じだ!」

と言って二人で顔を見合わせて笑った

運転席にお父さん、後部座席に私達が座って二打目地点に向かう間にゴルフ始めてどのくらいになるのかスコアはどのくらいかをお互いに話した

「すごい、ひなちゃんゴルフ始めて2年であんないいショット打てるの

私は10年よ」

「ありがとうございます

でもアプローチ(カップがあるグリーンの近くからボールを寄せるショット)がダメで、お父さんにまだ勝てないんです」

とちらっとお父さんを見た

「ひなは根性なし子だからな

気合でボールを寄せないとダメだ」

お父さんが言った言葉が私に突き刺さった

私もアプローチが最近2年ほど上手くいかない

初めて数年スコアが良くなっているときは何も考えずにアプローチをして、ボールがカップに寄ってくれた

しかしスコアが停滞してもっと良くなるにはアプローチがうまくならないとダメだと練習量を増やした頃から逆にだんだんアプローチが上手く行かなくなった

最近はアプローチの場面になってボールの前に立つと緊張して呼吸が浅くなる

そしてボールを打とうとスイングを開始するとロボットのように体が固まって、ボールの手前の芝を打ったり強く打ちすぎてとんでもなく遠くまで飛んでいってしまう

このような状態の人を「イップス」と言う

針に糸を通すような繊細な作業や人前で発表するときに手が震えてコントロールできない場面に似ている

体を大きく動かす動作ではほとんど起きない

経験したことがない人はわからないと思うが練習では上手く打てるが、本番になると練習通りに打てないのが厄介で困る

たぶん練習で上手く打てないほうが本番でも緊張せずきっと楽なはず

はじめの緊張感も取れて順調に前半の9ホールが進んだ

お父さんはやはり上手で半分以上の5ホールがパー(各ホールの基準打数)、残りの4ホールをボギー(基準打数より1打多い)

ひなちゃんも本人が「自己ベストのペース」と言って全ホールをボギーで収めた

私も久し振りに緊張感を持ってプレイできているのが良かったのか二つのパーが取れ、残りはボギーで最近では最も良いスコア

後半スタートまでの休憩も三人で昼食を取り、会話が弾んだ

ひなちゃんは小学三年生になってゴルフを始め、お父さんとゴルフ練習場で一年間基礎練習をしてからコースに出始めたらしい

お父さんは大人になってゴルフを始めたがもともと高校球児でピッチャーをやっていたので体格も良くすぐに腕前を上げたらしい

ただ二人の関係を注意深く見るとひなちゃんがお父さんに気を使っているように見えて気になった

前半の8番ホールでひなちゃんにカップまで10ヤード(約9メートル)のアプローチが残った時、

「ボールを良く見て顔を上げるな」とお父さんが強めの口調で言ったが結局ひなちゃんはボールの手前を打ってしまう”ザックリ”という失敗をやってしまい「根性なし子だな」と言われて泣きそうになっていた

昼食が終わって後半のスタートまで時間があったので私とひなちゃんはパッティング練習をすることにした

お父さんは喫煙ルームで知り合いの人に会ったらしく話し込んでいる

「ひなちゃん、お父さんのことが好きね

一緒にゴルフができるなんてうらやましいわ」

「うん、そうなの

一緒にゴルフできて楽しい」

「どんどん上手くなっているから、もうすぐお父さん追い越しちゃうね」

と私が言うと

「まだまだ全然」と言いながら、ひなちゃんの顔は少し寂しそうだった

「上手くなったら困る?」と私はひなちゃんに背中を向けて訊いた

「う〜ん、お父さんがね」

言うか言うまいか悩んでいる様子が見なくてもわかる

「この間友達と回った後、誰かに1打差で負けたって怒ってた

『もうあいつとは回らん』って、お父さん負けず嫌いだから」

「あ〜、それでひなちゃんが勝ったらお父さん一緒に回ってくれないかもしれないと思ってるの?」

そこにお父さんがカートに近づいてきた

ガチンコ勝負

「後半もお願いします」

のあいさつをしてお父さんが一打目を打った

続いて私、ひなちゃんと一打目を打って後半がスタートした

後半4ホール目まで全員好調だった

お父さんは全ホールをパー

ひなちゃんは1ホールパーを取って大喜び、2ホールがボギー、残り1ホールがダブルボギー(基準打数より2打多い)

私も2ホールパーを取り、残り2ホールはボギーと自己ベスト更新が頭をよぎる

5ホール目は距離が長いパー5(基準打数が5なので、5回打ってカップに入ればパーとなるホール)

お父さんの3打目は珍しくミスをしてグリーンを大きく越えてしまった

私とひなちゃんは飛距離が出ないので3打目でグリーンに届かず、二人ともバンカー(地面が深く掘られて全面砂が敷き詰められた場所)の手前にボールが残った

「ボールを探しくてくるから、先に打っといて」

と言ってお父さんはグリーンの奥の下り斜面に消えて行った

ひなちゃんのボールが私より2メートルほどカップから遠かったので先に打つことになった

バンカーがグリーンの手前で大きく開いたワニの口に見える、幅5メートルの超巨大な口

イップスの私は絶対来たくなかった場所、しかしボールが吸い込まれる罠を仕掛けるゴルフ場設計者はサディストに違いない

「打ちます」

と言って素振りをするひなちゃんはボールではなくカップ方向を見ている

お父さんに言われた「ボールを良く見て頭を上げるな」を忘れているのだろう

サッと軽くクラブで芝を擦る音が聞こえたらボールは柔らかい放物線を描いてバンカーの向こう側に着弾して惰性で転がりカップの50センチ手前で止まった

「ナイスアプローチ! 」

私はびっくりしながら歓声を上げた

「ボール見てないのに上手く打てたね! 」

「エヘヘ、一人で練習した時試したらボール見ないほうが打てるみたいなんです」

とひなちゃんが秘密を打ち明けるように恥ずかしがった

次は私の番、ボールに構えるとすでに体が固くなり始めている

「ボールを見ない? 」

さっきひなちゃんが喋ったことが頭に残っているが私はとてもできない

やっぱりボールを良く見てなんとかバンカーを越えるくらい打ちたい気持ちで一杯

クラブを振り上げた瞬間、いつもの感覚が私を襲った

体の右半分が固まった、このままではボールに届かないのがわかる

エイッと体を倒して思いっきり打つ

ザクッという音とともにクラブがボールの手前の芝をめくり上げた

その反動でボールがコロコロと転がり、バンカーの中へ

「あ〜ん、最悪! 」

と言いながら私の中ではやっぱりと打つ前からこの結果を予想していた

結局バンカーから出してからの2パットで私はダブルボギーになり、

お父さんも難しい場所からのアプローチが寄らず、ダブルボギーとなった

ひなちゃんは先程の天才的アプローチの後のパットを決めてパー

初めてダブルボギーを打ってお父さんの顔が険しくなった

ひなちゃんも私がナイスパーと声を掛けてもあんまり嬉しそうな顔をしない

「私アプローチが苦手なんですよ

さっきのバンカー越えのアプローチはいつもバンカーに吸い込まれるんですよ」

と私が言ってもふたりとも何も返してくれなかった

その後は全員苦戦してなかなかパーを取れず、ボギーで上がるホールが続いた

それでも最終ホールを終わって

お父さんは前後半合わせて82(全ホール基準打数で回ると72)、ひなちゃんは89、私も89の良いスコアとなった

「お疲れ様です、ありがとうございました」

と声を掛けてカートから荷物をおろしながらひなちゃんに話しかけた

「ひなちゃん、同点で二人の決着着かなかったね

どう? アプローチ対決で決着つけない? 

お父さん、良いですか? 」

「そうですね、僕もちょっと練習したいし

ひなの練習にもなるから」

ちょっとびっくりしながらお父さんは提案を受け入れた

アプローチ練習場に全員で移って、私がルールを説明した

「まずはお父さんのアドバイスは一切無し

あのカップを目標に一番近づいた人が勝ち

交代で選んだ5箇所から1球ずつ打って、3箇所を取ったほうが勝ち

どう、このルールでOK?」

「OKです」

ひなちゃんが答えて対決はスタートした

じゃんけんで先攻後攻を決めて勝った私が最初の場所を選んだ

お父さんは自分の練習をしながら、対決を見ている

最初はカップまで15ヤード(約14メートル)の比較的優しいアプローチ

それでも緊張するが体が固まること無く打てた結果は、カップの奥1メートルに止まった

ひなちゃんが打ったボールは止まりすぎてカップの手前2メートル、私の先勝となった

次にひなちゃんが選んだのはグリーンより1メートルほど低い場所からのアプローチ

カップまで20ヤード(約18メートル)あり、飛距離の調整が難しい

先に打ったひなちゃんのボールはグリーンに落ちた後コロコロと転がり、カップを過ぎて2メートルの位置に止まった

「上手い! 柔らかく打ったね」

と言いながら1メートル手前を狙って打った私のアプローチは強く打ちすぎてグリーンをオーバーして外に出て行き、私の完敗

3箇所目は私が取り返し、4箇所目はギリギリ10センチの差でひなちゃんが勝った

そして最後の場所として選んだのはバンカー越えのアプローチ

ここまでうまくいくとは思わなかったがこの場所を選んだのには理由がある

「さあ、2勝2敗

最後の勝負よ」

と少し大きな声を出した

「はい」

とひなちゃんも元気よく答えて勝負に集中しているのがわかる

そしてお父さんもこちらを見ている

いつもだったらこのアプローチは必ず失敗してバンカーに入れてしまう

だから今回は大きく深呼吸を何回もしていつもより多めに素振りをして体が固まらない工夫をして打った

打つ瞬間またも少し体が固くなったがなんとか当たったボールは予想より高く上がってバンカーを越す飛距離が出てないかも

必死でお願いと祈りながらボールを見守るとバンカーをギリギリ越えてカップ方向に転がった

カップの手前3メートル、本当は落としたかった所にボールは止まった

「ナイスアプローチ! 」

とひなちゃんの掛け声が聞こえた

ひなちゃんが素振りをしてカップを見ている

後半の5ホール目と同じでボールを見てない

寄せることしか考えてないほど集中しているのがわかる

お父さんを見ると明らかになにか言いたそうにしているのがわかる

今にも声を掛けそうだが私は口に人差し指を当てて口出しさせなかった

あのときと同じサッと軽くクラブで芝を擦る音が聞こえた

きれいな放物線がカップに向かって伸びた

これは負けたと私は確信した

”コンッ”という音がして、ひなちゃんのボールが大きく跳ねた

同時に私のボールもグリーンの外まで飛んでいった

なんという奇跡、ひなちゃんのボールがさっきの私のボールに当たった

「あ〜ん、負けた〜」

とひなちゃんが悔しそうに言った

ゴルフでは静止したボールに誰かのボールが当たった場合、静止したボールは元の場所に戻し、もう一方の当たったボールはたとえどんなに離れた場所に飛ばされてもそこからプレーを開始しなければならないというルールがある

「待って、コースだったらさっきの私のボールはマーク(ボールの代わりに小さなマークを地面に押し込んで他の人のじゃまにならないようにする)してたから当たらなかったはず

これじゃ、私も納得できないからもう一度やりましょう」

「うん、お願いします」

とキラキラした目でひなちゃんが答えた

やっぱり子供はこういうゲーム感覚が好きだ

今度はひなちゃんが先に打つことにした

まるでさっきのリプレイを見るかのようにひなちゃんが打ったボールは同じところに落ち、カップの30センチ向こうに止まった

「ナイスアプローチ! 」

とお父さんの大きな声が届いて、ひなちゃんの顔がひまわりのように明るくなった

これは無理だと内心思いながら私はさっきと同じように大きく深呼吸を何回もして素振りを繰り返した

ただ振ることだけに集中してクラブを振り上げると

”体が固まらない、スムーズに振れた”

綺麗に当たったボールはカップに一直線に向かって行く

「入れ! 」

お父さんとひなちゃんの声

”ドンッ”と音がしてカップの横10センチにボールが落ちた

そしてボールは無情に転がり、グリーンの外に出て行った

「ひなちゃんの勝ちね

お父さん、ひなちゃんすごいですよ!

ボールを見ないでアプローチ打てるんですから」

「びっくりしたよ

ひな、アプローチ上手くなってるな! 

野球のキャッチボールと同じで投げたい方向を見ている方が自然だからな

今度からボールを良く見て顔を上げるなとは言わないから」

「それともう一つ

私中学校で心理カウンセラーしていて、子供の気持ちがよく分かるんですけど

ひなちゃん、お父さんにスコアで勝ったらゴルフに連れて行ってくれなくなるんじゃないか? と心配しているようですよ」

お父さんがびっくりした顔でひなちゃんを見た

「なんでそう思うんだ? 、ひな」

ひなちゃんが言いにくそうに答えた

「なんか〜、この前お友達に負けてもうあいつとは一緒に回らんって言ってたから」

「あれを覚えていたのか?

余計な心配をするな、あいつとまたプレイする約束をしているから

それにアプローチが少し上手くなったくらいでお父さんはひなには負けないからな

安心して上手くなってみろ」

お父さんとひなちゃんは嬉しそうに笑った

「私もひなちゃんみたいにボールを見ないでアプローチを打てれば、良いんだけどな」

とこぼすとひなちゃんとお父さんが同時に言った

「ひなさんはもっとボールを見た方が良い」

「お姉さんはボールを見た方が良い」

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